2018 立春 みつつ鳴きひとつ綺麗な初音かな 太田 玲子 まだ鳴き始めの鶯に耳を傾けていたのだろう。ああ、今のが一番きれいに鳴いたと感じ入った。春の到来を実感した瞬間であるのだろう。(椋76号より)
2018 大寒 古九谷の緑増したり雪あかり くろす ようこ 雪の白さにいろいろなものが黒ずんで見える。その中で古い陶器の彩色が息を吹き返したように力強い。手から手へ受け継がれてきたゆえんだろう。(椋63号より)
2018 小寒 竜の玉夢を聞かれて淋しかり 星野 梨子 どんな夢を見たのかと問われてふと淋しさがよみがえる。貴石のような竜の玉にその心持ちを託した。(椋75号より)
2017 冬至 居心地の良き片隅や竜の玉 あきを 自画像ととってよいだろうか。句会でお会いするあきをさんは物静かな方だ。促されなければ一言も発しないだろう。しかし確とした存在感がある。(椋75号より)
2017 大雪 極月の月命日は晴れにけり 石田 京愛 肉親を失った年も暮れてゆく。雨でも雪でも曇り空でもなく、抜けるような青空が哀しみを伝えてくる。(椋75号より)
2017 小雪 つはぶきや先に来てゐる人の傘 せいじ せいじさんは物に語らせるのが巧みな作者だ。畳んだばかりの濡れた傘、その傍らの石蕗の花。それだけで静かな家の佇まいや人の気配が感じられてくる。(椋69号より)
2017 立冬 しぐるるや急げいそぐな夕間暮れ 大須賀たけし 短日の帰り道、急ぎがちになる歩みに自分で「いそぐな」と声をかける。心の中のその声が聞こえてくるようだ。(椋75号より)
2017 霜降 弁当の輪ゴムが二つ暮の秋 小林 木造 惣菜屋さんで買った手作り弁当に輪ゴムやホッチキスでとめてあることが多い、「二つ」などというどうでもいい事実の即物性と「暮の秋」のさびしさが絶妙に響き合っている。(椋74号より)
2017 寒露 山芋の蔓が空まで日暮れまで 市川 英一 思いがけないほど高いところまで蔓を伸ばした山芋。「空まで」と言った後に「日暮まで」と畳みかけたことで余情が出た。(椋73号より)
2017 秋分 破芭蕉ノート鉛筆忘れ来て くろす ようこ 肝心なものを忘れてきてしまった。かすかに苦い思いが「破芭蕉」に感じられた。(椋73号より)
2017 白露 撫子に心覚えのふた処 柴田幾多郎 撫子の花の群落地を作者は知っているのだろう。そこに見に行くのを密かに楽しみにしていることだろう。(椋73号より)
2017 処暑 フェラーリの咆哮九月来たりける 森 木精 スポーツカーの本領を発揮する回転に達したエンジン音。晩夏の気分を引きずっていた八月も、目の覚めるような真っ赤なイタリア車とともに去ってしまった。(椋72号より)
2017 立秋 階段の上に自転車蓼の花 天川  良美 集合住宅でよく見かける光景。蓼の花の取り合わせには慎ましやかな暮らしぶりがうかがわれる。(椋72号より)
2017 大暑 店先によき石垣やラムネ飲む 小関 菜都子 日用雑貨から氷菓子まで何でも商っている店を想像した。背景は緑の濃い杉山や青田。農家の庭先には立葵が咲いているなどと。(椋65号より)
2017 小暑 射干のやむなき色を尽くしけり 田野 いなご やむなき色とは言い得て妙。盛夏の色としかいいようのない朱色。色を尽くして夏も果てようとしている。(椋59号より)
2017 夏至 船笛のやうに麦笛鳴りにけり 市川 薹子 なーるほど、と思った。ボーッと遥かな音。草笛もそんな響きに聞こえることがある。シンプルさがいい。 (椋53号より)

2017 芒種

夏燕そして女の腕まくり 藤田 ありこ 燕たちが忙しい時期、気候がよくなって女たちもきびきびと働く。「そして」とドラマチックな表現をして生き生きした句になった。 (椋71号より)
2017 小満 どの鳥も多忙なりけり麦の秋 守屋 さつき 晩春から夏にかけて鳥たちは子育てに忙しい。「多忙なりけり」と言ったのは、生きものを尊重する心持ちがあるからだろう。どの鳥も人間には見向きもしないでせっせと働いている。(椋71号より)
2017 立夏 朴の花弱き心をはづかしく 吉田 信雄 何と可憐な句を、と思う。仰ぎ見た朴の花の純白に心を照らされている作者。叙法も確かな句である。(椋71号より)
2017 穀雨 火を焚いて山のかかりの山桜 田中 英花 山桜の並木が続く花冷えの山道なのだろう。「山のかかり」という表現に古道らしさを感じ、それだけで一句に重みを与えている。(椋70号より)
2017 清明 蜜蜂の歩くしつとり濡るる道 かたしま真実 弱っているのか、雨上がりの道を蜂が歩いている。透き通った翅を引きずるようにしているだろう。「蜜蜂」の「蜜」に春光のまぶしさを感じる句だ。(椋70号より)
2017 春分 さんさんと杭が水脈ひく桜かな 小椋 蛍 まるで杭が流れているような錯覚を起こす水面。「さんさんと」で満開の桜が見えてきた。(椋64号より)
2017 啓蟄 掌に三月の空置きにけり 岡村 潤一 晴れた春の一日。どこまでが空なのかと思う。作者自身も空の中にいるような心もとなさに、野あそびの手を広げてみる。そこが地と空の境目になる。「置きにけり」に若々しさが感じられる。(椋52号より)
2017 雨水 梅林のあらぬところに人の声 上田 りん 裸木で見通しだった梅林も、満開になって、奥深い空間になった。花で見えないが、確かに人声がしている。それが思いがけず近い。おやと訝しむ気もちに、春の不思議さが重なる。(椋52号より)